英語より先に、子どもたちに伝えたかったこと|海外で気づいた日本文化の良さ

先日テレビを見ていたら、子どもの教育を目的に、シンガポールやマレーシアなど海外へ移住する家庭が増えている、という話題が取り上げられていました。

理由のひとつは、子どもに英語を身につけさせるため。

海外で生活し、日常的に英語を使う環境に身を置く。

確かに、言葉を身につけるという意味では、とても良い環境なのだと思います。

私自身も若い頃、アメリカへ留学し、海外で生活した経験があります。

その後も、家族が暮らしていたアメリカを訪れ、子どもたちを連れて何度も海外へ行きました。

だから、海外の良さもたくさん知っています。

でも同時に思うことがあります。

海外へ出たからこそ、日本の良さにも気づいた。

そして私は、子どもたちが小さい頃には、英語を話せることよりも先に身につけてほしいものがありました。

子どもたちに見せたかったのは「英語」ではなく「世界」

子どもたちが小さい頃、周りには英会話教室へ通う子もたくさんいました。

でも我が家は、本人たちが望まなかったこともあり、英会話教室へは通わせませんでした。

アメリカへ行っても、

「英語で話しなさい」

なんて言ったこともありません。

姪っ子たちと遊べば、日本語と英語がごちゃ混ぜ😂

現地のキャンプに参加しても……

何とかなる🤣

それでいいと思っていました。

私自身、大学を卒業して留学した時には、英語を聞き取る耳が慣れるまで4か月ほどかかりました。

だから、子どもたちを見て驚いたことがあります。

幼い頃から英語が飛び交う環境に入っていたからなのか、聞き取る耳がある。

羨ましいほどでした😆

環境って、すごい。

でも、だからといって「もっと英語を勉強させよう」とは思いませんでした。

海外へ行けば、自分の言葉が通じた時の楽しさも、通じない時のもどかしさも、本人たちが一番感じています。

「もっと話せたら楽しいだろうな」

そう思った時に、自分で学べばいい。

その時、幼い頃に聞いた音や経験が少しでも役に立ったら、それで十分。

親の私ができるのは、

学ばせることより、いろいろな世界に触れられる環境を用意すること。

そう考えていました。

海外で暮らしたから、日本が好きになった

海外生活を経験すると、海外に憧れるようになると思われることがあります。

私は……

全然ありません😂

海外には海外の素晴らしさがあります。

人との距離感、考え方、自由さ。

日本では当たり前だと思っていたことが、世界では全く当たり前ではないことも知りました。

でも同時に、

海外へ出たからこそ、日本の良さにも気づきました。

ずっと日本にいたら、当たり前すぎて気づかなかったかもしれません。

海外には海外の良さ。

日本には日本の良さ。

どちらが優れているという話ではありません。

両方を実際に見たからこそ、

「自分は何を心地よいと思うのか」

を考えられるようになった気がします。

そして私は、日本文化がとても好きになりました。

茶道で学ぶ「相手を想う」ということ

子どもたちは、小さい頃に茶道を経験しました。

私自身も着物に携わるようになり、子どもたちに着物を着せたり、日本文化に触れる機会を作ったりしてきました。

もしかしたら海外へ出ていなければ、私は茶道や着物にここまで興味を持たなかったかもしれません。

茶道というと、

「お茶を点てる作法を学ぶもの」

というイメージがあるかもしれません。

でも、私が素敵だと思うのは、その奥にある相手を想う心です。

真冬には、お茶が冷めにくいように筒茶碗を使う。

真夏には、ガラスの茶碗などを使って、目からも涼しさを感じてもらう。

季節を感じ、道具を選び、

「どうしたら、この人に心地よく過ごしてもらえるだろう」

と考える。

お茶碗ひとつにも、相手への思いやりが込められています。

おもてなしとは、何か特別なことをするのではなく、

目の前の人を想像すること。

私は、そんな日本の文化を子どもたちに知ってほしかったのだと思います。

子どもの頃は「人としての土台」を大切にしたかった

もちろん、英語を学ぶことは素晴らしいことだと思います。

英語が話せれば、出会える人も、見える世界も広がります。

でも私は、子どもの頃は人間形成の大切な時期だと思っていました。

だから、英語を一つでも多く覚えることより、

人を想うこと。

季節を感じること。

違う文化を知ること。

自分とは違う考え方の人がいることを知ること。

そして、いろいろな人と実際に出会うこと。

そんな経験を大切にしたかった。

言葉はツール。

どれだけ流暢に話せても、その言葉に乗せる心がなければ、人には届かない。

英語を話せることそのものが目的ではなく、

その言葉を使って、誰とつながり、何を伝え、何ができるのか。

私は、そちらの方を大切にしたかったのだと思います。

小さな頃から、何度もお世話になったスケートボードのインストラクターと。

一生懸命話した英語が、CAさんに届いた

子どもたちと海外へ行った時の、忘れられない出来事があります。

飛行機の中で、まだ小さかったRIKUが、一生懸命CAさんに英語で話しかけていました。

もちろん、流暢な英語ではありません。

知っている言葉を使って、一生懸命伝えようとしていました。

そんなRIKUを可愛いと思ってくださったのか、CAさんがなんと、

ファーストクラスのパフェをご馳走してくださったのです😂🍨

嬉しそうに食べているRIKUを見ながら、私も嬉しかったのを覚えています。

英語が完璧だったからではありません。

「話したい」「伝えたい」という気持ちが、相手に届いた。

今振り返ると、私が子どもたちに英語を通して知ってほしかったのは、こういうことだったのかもしれません。

テストで何点取るためでもない。

「英語が話せる自分」を見せるためでもない。

目の前にいる人とつながるため。

言葉は、人と人をつなぐツール。

そして今、RIKUが言葉を使っている

そして今、成長したRIKUは外資系企業で働いています。

外国からのお客様と接する機会もあり、英語で話しかけられると、聞き取って自然に答えることがあるそうです。

周りのスタッフから、

「え?英語分かるの?」

と驚かれることもあるらしい😆

でも、私が嬉しいのはそこだけではありません。

RIKUは英語だけでなく、トルコ語やポルトガル語なども、接客で使えそうな最低限の言葉を自分でネットで調べて、お客様に使って楽しんでいるそうです。

その言葉を聞いたお客様が喜んでくださる。

RIKUも、それが嬉しい。

それを聞いた時、

「あぁ、それでいいんだ」

と思いました。

流暢じゃなくていい。

発音だって完璧じゃなくていい。

相手の国の言葉で、

「こんにちは」

「ありがとう」

たった一言伝えるだけで、その人が笑顔になることがあります。

英語でも、日本語でも、トルコ語でも、ポルトガル語でも。

誰かとつながるために。

誰かを笑顔にするために。

自分が持っているものを、誰かの役に立てるために。

そんなふうに使えたら、言葉は本当に素晴らしいツールになると思います。

「俺、英語話せるぜ!」

と、自分を大きく見せるためのものにはしてほしくない🤭

それが母の願いです。

茶道と外国語。根っこは同じなのかもしれない

こうして考えてみると、不思議です。

小さな頃に経験した茶道と、大人になったRIKUが仕事で使っている外国語。

全く違うものに見えます。

でも、根っこにあるものは同じなのかもしれません。

冬に、温かいお茶を少しでも冷めにくい茶碗でお出しする。

夏には、涼しさを感じてもらえる器を選ぶ。

外国から来たお客様に、その方の国の言葉を一つ覚えて声をかける。

どれも、

「目の前の人に喜んでもらうために、自分に何ができるだろう」

ということ。

私が子どもたちに伝えたかったのは、英語そのものではなく、もしかしたらこういうことだったのかもしれません。

海外に憧れるのではなく、世界を知る

私は海外で生活した経験があります。

子どもたちとも何度も海外へ行きました。

海外には、今でも大好きな場所がたくさんあります。

でも、不思議と「海外で暮らしたい」という憧れはありません😅

海外の良さを知ったからこそ、日本の良さも知りました。

そして日本の良さを知っているからこそ、海外の文化も面白いと思える。

どちらが上でも、どちらが正解でもありません。

世界を見るということは、自分の国を否定することではなく、自分の世界を広げること。

私はそう思っています。

日本も見て。

海外も見て。

いろいろな人に会って。

いろいろな考え方に触れて。

その上で、

自分は何が好きなのか。
どこが心地いいのか。
どんな人でありたいのか。

自分で選んでいけばいい。

子どもたちに渡したかったのは、世界を歩くための土台

子育てをしている頃は、こんなふうにきれいに言葉にして考えていたわけではありません。

ただ、

いろいろな場所へ連れて行き、

いろいろな人に会わせ、

日本の文化にも触れさせ、

「こんな世界もあるよ」

と見せてきました。

その中から何を選ぶかは、子どもたち自身。

私は、子どもたちの人生の地図を描きたかったのではありません。

自分で歩いて、自分で選び、自分で軌道修正できる人になってほしかった。

そして、その道の途中で誰かと出会った時、

相手を想う心を持っていてほしい。

言葉が必要なら、その時に学べばいい。

今は、RIKUがトルコ語やポルトガル語を自分で調べているように、必要だと思った時に自分で学ぶことができます。

大切なのは、

「何語を話せるか」ではなく、
「その言葉で誰と、どうつながりたいのか」。

小さな頃、飛行機の中で一生懸命CAさんに話しかけていたRIKU。

その気持ちは、ちゃんと相手に届いていました。

そして今も、形を変えながら続いているのかもしれません。

英語は、大人になってからでも学べます。

勉強だって、必要になれば始められます。

もちろん、幼い頃から学ぶことに価値がないと言いたいわけではありません。

家庭によって考え方も違うし、その子に合ったタイミングも違います。

ただ、我が家では、

子どもの頃だからこそ育てたいもの

を大切にしてきました。

人を想う心。

違いを面白がれる心。

季節を感じる感性。

知らない世界へ一歩踏み出す好奇心。

そして、自分が持っているものを誰かのために使えること。

それらはテストで点数にはならないかもしれません。

履歴書にも書けないかもしれません。

でも私は、そんなものこそ、その人の人生を豊かにしてくれる気がしています。

子どもたちに英語を話せる人になってほしかったわけではありません。

海外で暮らしてほしかったわけでもありません。

生まれた時から願ってきたことは、やっぱり同じ。

どの国にいても、笑顔で、その子らしく輝いていてほしい。

そして、自分が持っているものを使って、誰かを少し笑顔にできたなら。

親として、それ以上嬉しいことはないのかもしれません☺️✨

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