我が家には、大切な家族がいます。
レン。
大きな体をした、我が家の愛犬です。
私はレンのことを投稿するとき、ずっと使ってきたハッシュタグがあります。
#介助犬ではないけど助けてくれるレン
レンは介助犬ではありません。
特別な訓練を受けたこともありません。
それなのに、不思議なくらい家族のことをよく見ています。
教えていないのに、ハナのそばにいる
ハナが困っている時。
不安そうにしている時。
何となくいつもと違う時。
誰かに教えられたわけでもないのに、レンは自然とそばにいます。
何か特別なことをするわけではありません。
ただ、そばにいる。
時には、それだけで人は安心できるのだと、レンを見ていると感じます。

そして、レンが支えてきたのはハナだけではありません。
思春期を迎えた息子にも。
子育てや仕事で疲れ果てた私たち夫婦にも。

気がつけば、いつも家族の真ん中にレンがいました。
レンがいなかったら、乗り越えられなかったこともあったかもしれません。
レンがいなかったら、出会えなかったご縁もあったかもしれません。
そして何より、
こんなに笑う毎日を過ごせていただろうか。
そう考えることがあります。
我が家にとってレンは、「飼っている犬」という言葉では足りません。
家族を支えてくれる、大切な存在です。
動物だからこそ届くものがある


姉がカリフォルニアで心身ともにつらい時期を過ごしていた頃、犬との暮らしを勧められたことがありました。
その話を聞いた時にも思いました。
医学がどれだけ進歩しても、それとはまた違うところで、動物だからこそ人の心に届くものがあるのではないか、と。
言葉を話さなくても、人の変化を感じ取る。
そっと寄り添う。
時には、人間よりも早く異変に気づく。
救助犬や介助犬をはじめ、人間を助けている動物たちを見るたびに、その能力には驚かされます。
人間はもっと、動物たちの力や命を尊敬してもいいのではないか。
レンと暮らすようになって、その思いは以前よりずっと強くなりました。
だからこそ私は、命が商品として扱われることや、行き場を失った動物たちが命を落とす現実についても、考えずにはいられません。
一頭一頭に感情があり、個性があり、誰かの人生を変えてしまうほどの力がある。
レンと暮らしていると、それを毎日のように感じます。
レンを見ていると、スポットを思い出す
実は、レンの前にも私には大切な犬がいました。
ゴールデンレトリーバーのスポットです。
スポットは、私のことが誰よりも大好きな子でした。
息子が生まれたあと、スポットは亡くなりました。
でも私は今でも、一つ後悔していることがあります。
子育てに追われる中で、スポットの最後の時間に、十分に手をかけてあげられなかったこと。
もっと一緒にいてあげればよかった。
もっとしてあげられることがあったのではないか。
時間が経っても、心のどこかに残っています。
そしてレンと暮らすようになってから、不思議に思うことがあります。
レンの顔。
賢さ。
私を見る表情。
ふとした瞬間に、スポットと重なるのです。
もし、本当に生まれ変わりがあるのなら
『僕のワンダフル・ジャーニー』という映画があります。
一頭の犬が生まれ変わりながら、大切な人のもとへ戻ってくる物語です。
もちろん、本当にそんなことがあるのかは分かりません。
でも、もしあの物語のようなことがあるのなら。
スポットがもう一度生まれ変わって、レンになって私のところへ来てくれたのかな。
そんなふうに思うことがあります。
だから私はレンに、
「レン、ありがとう」
と伝えるのと同じように、
「スポット、ありがとう」
とも伝えています。
スポットに十分してあげられなかったこと。

その後悔があるからこそ、今レンと過ごせる時間を大切にしたいと思えるのかもしれません。
犬との出会いが、私の人生を豊かにしてくれた
レンとの出会いは、私の子育てを豊かにしてくれました。
家族との時間を豊かにしてくれました。
そして、私自身の人生も豊かにしてくれました。
人間だけで子育てをしてきたのではないのかもしれません。
家族だけで頑張ってきたのでもないのかもしれません。
いろいろな人との出会いがあり、
動物との出会いがあり、
たくさんのご縁に助けられて、今の私たちがあります。
私を守ってくれているように感じる、大切な存在たち。
姿が見えるレンも。
今は姿の見えないスポットも。
そして、私たちを見守ってくれているご先祖さまも。
今日もありがとう。
そう思えること自体が、幸せなのだと思います。
うまくいかない日があっても、
疲れて立ち止まりたくなる日があっても、
足元を見れば、大きなレンがいる。
だから今日も、感謝を忘れずに。
少しだけ勇気を持って、前へ進もうと思います。


