「行動力があるね」と言われる私が、いつも考えていること

Instagramを長く続けてきて、よく言っていただく言葉があります。

「行動力がありますね」

確かに、思いついたら動く方なのかもしれません。

やってみたいと思ったら、とりあえずやってみる。

お菓子工房も自分で作り、必要になれば駐車場まで自分で作りました(笑)。

でも、自分では「行動力のある人間だ」と思って生きてきたわけではありません。

どうして私は動くんだろう。

改めて考えてみると、そこには私なりの理由がありました。

人との「ご縁」を、少し離れたところから見ている

私は昔から、人とのご縁を不思議に思うことがあります。

長く続くご縁。

突然離れていくご縁。

思いもしなかったタイミングで現れるご縁。

「どうして今、この人と出会ったんだろう」

「この出来事には、どんな意味があるんだろう」

そんなことを、もう一人の自分が少し離れたところから見ているような感覚があります。

言ってみれば、自分の人生を自分で実況中継している感じです(笑)。

ご縁が去っていく時も、無理につなぎ止めようとはあまり思いません。

寂しいことはもちろんあります。

でも、

「このご縁から私は何を学んだんだろう」

と考えます。

逆に、驚くようなタイミングで新しいご縁がやってくることもあります。

人生って、本当に不思議です。

Instagramに子育てを書いてきた理由

私は長い間、Instagramに子育てのことを投稿してきました。

でも、誰かに見てもらいたくて書いていたわけではありません。

「私の子育てを見て」

と思ったこともありません。

投稿する一番の理由は、私自身のためでした。

文字にすることで、

「私はなぜ、こうしたんだろう」

「本当にこれで良かったかな」

と、一度立ち止まることができるからです。

感情のまま過ぎていけば見えなかったことも、文章にすると少し離れたところから見ることができます。

自分の考えを整理して、また前へ進む。

Instagramは、私にとってそんな場所でもありました。

だからなのか、私は子育てに大きな後悔がありません。

もちろん、

「あれが正解だった」

と言いたいわけではありません。

間違えたことも、迷ったことも、たくさんあります。

でも、その時その時で考えて、自分なりに向き合ってきた。

だから結果がどうであっても、

「あの時の私は、あれで精いっぱいだった」

と思えます。

誰かではなく、自分と向き合う

何か問題が起きた時、

「あの人がこうだから」

「環境が悪いから」

と思いたくなることはあります。

でも最後に考えるのは、

「じゃあ私は、この出来事にどう向き合う?」

です。

相手を変えることはできません。

起きてしまった出来事も変えられません。

でも、自分がどう考えて、どう動くかは選べます。

最近も、

「これは相手との問題なのかな?」

と思ったあと、

「いやいや、結局私は自分と戦っているんだな」

と気づくことがあります(笑)。

人生、何歳になっても課題が出てきます。

そのたびに、

「はい、今回はこの課題ですね」

と、また自分の中で実況が始まります(笑)。

出来事には、何か意味があると思っている

私は、人生で起きる出来事には何か意味があると思っています。

なぜ自分にこんなことが起きるのか。

その答えは、その時には分からないこともあります。

ずっと分からないことだってあると思います。

それでも、

「この出来事を通して、私は何を学ぶんだろう」

と考えてきました。

私にとって、それが人生の課題なのかもしれません。

誰かのせいにして終わるのではなく、

自分がその課題とどう向き合うのか。

そこだけは、自分で決めたいと思っています。

普通の日常が、当たり前ではないと知った

私にも、振り返ればいろいろなことがありました。

父が弟の保証人になっていたことで、怖い人が取り立てに来たこともありました。

国税局の差し押さえを経験したこともあります。

普通に生活していたら、なかなか経験しないようなことかもしれません。

もちろん、望んで経験したことではありません。

当時は大変でした。

でも不思議なことに、今振り返っても、つらかった記憶ばかりが残っているわけではありません。

むしろ、楽しかったことの方をよく覚えています。

私は基本的に、過去をあまり振り返りません。

過ぎたことは変えられない。

だったら、今をどうするか。

そう考える癖が、いつの間にかついたのかもしれません。

今日と同じ明日が来るとは限らない

娘の発作を経験したことも、私の考え方に大きく影響しています。

普通に朝を迎えること。

家族でご飯を食べること。

「おやすみ」と言えること。

そんな何でもない一日が、決して当たり前ではないことを何度も感じました。

今晩、自分がどうなっているか。

家族がどうなっているか。

本当は誰にも分かりません。

だから私は、いつからか「いつか」より「今」を大切にするようになったのだと思います。

今日できるなら、今日やっておく。

会いたい人には、会える時に会う。

伝えたいことは、伝えられる時に伝える。

それが、周りから見ると「行動力」に見えるのかもしれません。

義父に会い続けたのも、実は自分のためだった

結婚してから、義父が余命宣告を受けました。

闘病中、私はできる限り会いに行きました。

どんなに忙しくても、毎日のように。

主人の兄弟の中でも、たぶん一番会いに行っていたと思います。

もちろん、義父に会いたかった。

少しでも顔を見せたかった。

でも今考えると、それだけではなかったと思います。

私は、自分が後悔したくなかったのです。

私の父は突然倒れ、そのまま亡くなりました。

「もっとこうしてあげればよかった」

と思っても、もうできませんでした。

だから、その分まで義父にしてあげたかったのかもしれません。

そして、その姿を子どもたちにも見せたかった。

大切な人にできることがあるなら、できる時にする。

それを言葉ではなく、子どもたちに見てもらいたかったのだと思います。

一見、人のため。でも実は自分中心?

こうして考えてみると、私は案外、自分中心なのかもしれません(笑)。

誰かのために何かをしているように見えて、

実は、

「やらなかった自分を、あとで後悔したくない」

という気持ちで動いています。

義父に会いに行ったのも。

子どもたちのために動いてきたことも。

誰かに褒めてもらいたかったわけではありません。

未来の自分が、

「あの時、やっておけばよかった」

と思うのが嫌なのです。

だから、できるならやる。

一見、人のために見えて、実は自分のため。

でも、それで誰かが少し幸せになって、自分も後悔しないのなら、それでいいのかなと思っています。

そして来週も、たぶん私は動く(笑)

来週、息子の友達が泊まりに来るそうです。

しかも二人。

「その日はテニスの仕事だから、食事の準備なんてできないよ!」

と言いました。

本当にしんどいんです(笑)。

仕事を終えて帰ってきて、そこから二人分増えた夕食。

寝床の準備。

考えただけで、

「無理無理」

と思います。

……でも。

たぶん私は、やるのでしょう(笑)。

夕食を用意して、

「ここで寝てね」

と寝床を作って。

なぜなら数年後、

「あの時、せっかく息子が友達を連れてきたのに、何もしてあげなかったな」

と思う自分が想像できるからです。

それなら、ちょっと頑張るか。

たぶん、それだけです。

私の「行動力」の正体

「行動力がありますね」

そう言っていただくたびに、

「そうかな?」

と思っていました。

でも今回、自分のことをこうして書いてみて、少し分かった気がします。

私は、何でもできるから動くわけではありません。

怖くないからでもありません。

失敗しない自信があるわけでもありません。

ただ、

今日という日は、当たり前にもう一度やってくるわけではない。

それを、いろいろな経験から知ったのだと思います。

だから、

今できることを、今やる。

ご縁が来たら、その意味を考えてみる。

問題が起きたら、誰かを責める前に、自分にできることを考える。

そして時々、Instagramやブログに書きながら、

「さて、私はこれで良かったのかな」

と自分を客観視する。

答えが出たら、また前へ進む。

きっとこれからも、そうやって生きていくのだと思います。

過去に戻ることはできません。

明日のことも分かりません。

だから今日も、

目の前にある何気ない日常に感謝して。

自分に出された今日の課題と向き合いながら。

少しだけ勇気を持って、前へ進みます。

……とりあえず来週は、息子の友達二人分の夕食と寝床から(笑)。

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